1歳から東京都多摩市に住んでいたのですが、父の転職に伴い、小学4年生から中学校3年生まで愛媛県温泉郡重信町(現在は東温市)、高校1年生から3年生まで群馬県前橋市へと引っ越しをしました。東→西→東と移動して少年期を過ごしたのですね。ちなみに大学は神戸大学、大学院は横浜市立大学に入ったので、結果的に、東→西→東→西→東と行ったり来たりしています。落ち着きがないですね。小学生にとって引越しの影響は大きく、新しい環境に慣れたり友達を新たに作るのは大変でした。
小学生当時はキャプテン翼というサッカー漫画が大人気、休み時間も放課後も男の子はみんなサッカーをしており、私もサッカーを通して友達を作ることができました。またファミリーコンピュータ、略してファミコンが発売されスーパーマリオなど大流行したのですが、そもそも家にテレビがないので私はゲームができず、友達がやっているのを後ろで見せてもらうという悲しい小学生でした。引越しの影響やテレビの話題についていけないためか、私は読書が好きで比較的おとなしい性格だったと思います。動物が好きだったのでよく世話をしたり、人の嫌がることはせず、困っている人を手伝ったり助けたりすることができる方だったと思いますが、その反動で、自分が危害を加えられた時は強烈に反抗するところがありました。身体が小さかったので嫌がらせや喧嘩を仕掛けられることがよくありましたが、そのままでは済ませない、やられたらやり返すタイプでした。おとなしいと言いつつ暴力的な気質が内在するヤバい奴、でしょうか。
思い返すと当時から面倒くさがりというか、追い詰められないとやらないタイプで、漢字プリントを全くやらずに隠して捨てたり、机の中にカビたパンを何個も溜め込んでいたり、忘れ物が多く、時間割や提出物がきちんと出せないことが多かったと思います。当然、夏休みの宿題は新学期間近になって手をつけるタイプでした。異常な発育を示すアサガオの観察記録、なぜか他の子と天気が違う夏休みの日記、私の家の周りだけ異世界だったのでしょうか。
そして困ったことに、気が乗らないので学校を休むという悪い癖がありました。朝起きて、なんとなく憂鬱なので頭が痛いと言って休む、体温計を擦って温度を上げてみる、雨なので休むと堂々と宣言するなど、しょっちゅう学校を休んでいました。一番ひどかったのは中学生の時で、平均で週1日、1年間で30日くらい学校を休んだことを覚えています。特別に人間関係の問題もなく、学校が嫌だったわけではないのですが、急に休みたくなってしまう感じでしょうか。やらなければいけないと思うと目を逸らし、現実逃避しがちな気質があった(今もある)ように思います。ちょっと嫌なことがあって逃げ出すと更に嫌さが倍加してますます目を向けられなくなる感じでしょうか。一方で、今日の授業は休んでも大丈夫だからと計算して休んでいたところもあり、テストなど大事な時に休むことはありませんでした。要するにズル休みですね。
誰しも得意不得意があるもので、生活に支障をきたすほどに凸凹の程度が強かったり、本人や家族の困り感が強い場合に発達特性と診断することがありますが、私も集団生活や学校生活に適応しきれない面があったと思います。皆勤賞とは無縁の子どもでした。それでも今のようにネットもスマホもなく、ゲームやテレビすら無い家だったので学校を休んでいても仕方がなく、すぐ登校する気になったのですが。ズル休みと分かっていたでしょうが「学校に行きなさい」とか「勉強しなさい」とかほとんど言わなかった私の親はなかなかに大したものだと感謝しています。
そんな私が、医者になってからほとんど仕事を休んだことがないのは我ながら不思議に思います。
(つづく)
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