前回書いた通り、高校進学時に愛媛県から群馬県に引っ越したため、高校受験は乏しい情報で志望校を決めて右も左も分からず受験することになりました。当時はネットも何もないので仕方がないですが、今考えるとチャレンジすぎます。すべり止めで受験した私立高校は試験当日に雰囲気が変だなと思って後日聞いたところ、全く偏差値が合っていない高校だったことを知りました。滅茶苦茶です。もし第一志望に落ちていたら人生大きく変わっていたかもしれませんが、幸い前橋高校という公立の進学校に入学することができました。今は高校受験には内申点が大切だと聞きますが、年間30日も休んでいた私には内申点などあったのでしょうか。当時の愛媛県や群馬県ではそういう仕組みがなかったのかもしれません。昭和のゆるい時代に生まれて幸いでした。
全国でも珍しいことに、今でも群馬県では公立高校の成績上位は男子校、女子校と別れています。前橋高校は隣市の高崎高校と対をなす男子の伝統校で、両校は「定期戦」と言う大正時代から続く生徒全員での対抗戦や、大学進学者数など競い合うライバル校として地元では有名です。昔ながらの剛気で自由な校風が特徴でしたので、生徒たちは勉強に部活に伸び伸びと過ごせる雰囲気がありました。
小中学校までは授業さえしっかり聞いていれば間に合っていた勉強も、高校ではそうは行かなくなりました。神奈川県とは比べるべくもありませんが、群馬県内で成績の優秀な生徒が集まる学校です。私は学年で真ん中前後をウロウロするくらいの成績で、特に数学と地理が苦手でした。高校では授業の進みが速いので1日休むと本当に分からなくなります。予習復習しなければいけないのに、ここで生来の気持ちの弱さが現れて嫌なことから目を背けてしまうため、高校3年間を通じて数学は不得意なままでした。1年生の中間テストで数学が5点だった時は流石に人に見せられませんでした。地理は地名テストで追試を3回くらって最後は私ともう一人しかいなかったような気がします。いや、英語も良くわからなかったような、そういえば古文も適当に・・・・・とにかく高校3年生の夏まではぼんやりとしか勉強していませんでした。受験受験と言われることもなく生徒の自主性に任せる学校だったので浪人する生徒も多く、一浪くらいは普通でそこから本気を出せば良いような雰囲気があったような。。。。気がします。
勉強の代わりに何をしていたかというと、高校では吹奏楽部に所属し打楽器(パーカッション)を担当していました。今にして思えばクラリネットやサックスなど管楽器にしておけば良かったと思うのですが、小学生の時にピアノを習っていた経験から「ピアノは打楽器だから」と言われてパーカッションに入れられてしまいました。すみません、パーカッションが悪いわけではないのですが、持ち運び大変だし個人で演奏できないし音大きいしと、大人になって続けるのは難しい楽器です。しかも私はリズム感がなく、むしろ音感はあるので(曲を聴いて譜面に起こせます)適性が逆だった気がします。
私は決して上手ではありませんでしたが、仲間たちと気持ちを合わせて曲を奏でる高揚感は言葉にしがたいものがあります。もう30年以上経ってしまいましたが、音と音が重なり合う瞬間の光景は今でも鮮明に思い出すことができます。校舎4階の音楽室から眼下に広がる金色の麦畑、雄大な赤城山をバックに風が吹き抜け稲穂が一斉になびく景色を眺めるのも最高でした。今でも機会があればもう一度、楽器を練習して吹奏楽をやってみたいと思っています。
(つづく)






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